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あれから40年


綾小路きみまろの定番のセリフに「あれから40年」というのがあります。
40年前の1975年5月。私は初めての海外、米国のテキサス州ダラスにいました。75年3月から2年弱米国で勉強しました。5月は、ダラス大学経営大学院に入学するための予備校(経営大学院が米国以外の学生向けに運営していました)で、レポートの作成方法、統計学、経営学、会計学などの基礎を英語で学びました。1976年が米国建国200周年の年で、米国内は盛り上がっていました。

40年前は、1ドルが約300円でした。1ドル100円の感覚になると言われましたが、200円が妥当な感じでした。当時の米国のガソリン価格1リッター25セント前後(約70円)だったような記憶があります。車は7千ccのエンジンを積んだ中古車に乗っていました(当時は普通の排気量でした)。大学院の1科目(13週間が1学期で週一回3時間授業)の授業料が300ドル、9万円でした。当時の早稲田大学の1年間の授業料が12万円でした。レポートを作るのに、手書きしたレポートをプロのタイピストに打ってもらいました(パソコン、ワードなんてありません)。学食で初めてミネストローネスープやミートローフといった料理を食べたのを覚えています。テレビでは、チャーリーズエンジェルやS.W.A.Tが、音楽ではオリビア・ニュートンジョンが人気でした(50歳以上の人にはわかってもらえると思います)。ドライブスルーを初めて経験した時のドキドキ感は、今でも覚えています。スピーカーの英語が聞き取りにくくて苦労しました。

日本でも、今やコンビニが併設されているスタンドを多く見かけますが、40年前の米国ではすでに当たり前で、コンビニでコーヒーとドーナッツを販売していて、それで朝食をすますアメリカ人を多く見かけました。当時のセブン・イレブンはダラスが本社で、当時はこんなお店で誰が買うんだろうと思っていましたが、イトウヨーカ堂がセブン・イレブンを日本で最初に出店したのが1974年でした。

当時は、ファックスはなく、当然Eメールもなく、日本に関する情報源は母親が月一回送ってくれる新聞や雑誌に限られていました(1975年は長嶋巨人が最下位になり、ピンクレディがデビューした年でした)。国際電話の料金も非常に髙く、交換手を通じて回線をつないでもらうといった時代で、緊急の用事でなければ国際電話は出来ませんでした。日本から送金してもらうのに、米国に滞在している証拠として私が「金送れ」と書いた手紙が必要で、一回の送金では1,500ドルが上限で、送金手数料もかなり高かったです。私はクレジットカードを現地で作ることが出来ず、銀行が発行する小切手に免許証と学生証をお店に見せて小切手を切って、お店は銀行に口座残高を確認するという手続きが必要でした。

12年前に娘が米国に留学した時代。1ドル120円前後。ドル払いのクレジットカードで授業料を支払い、中古車を購入し、都内にあったシティバンク発行のドル建てのキャッシュカードを使って現地で手数料無料でドルを引き出し。ネット・メール・携帯電話で日本と同じ情報を瞬時に入手。レポート作成はパソコンで簡単。隔世の感があります。

10年後の生活はどのように変化しているのでしょうか?
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| いろいろ | 07時27分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑















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